秋分の日

「秋分の日」といえば、何を思い浮かべるだろうか。

 
「昼と夜の長さが同じ日」という認識の方も多いだろう。2022年の秋分の日は9月23日だが、毎年同じ日ではない。天文計算で決められ、その年によって日付は変動する。

 
近年では秋の大型連休「シルバーウィーク」の長さを左右するとあってか、日本人にとっては注目の祝日ともいえる馴染みのある日でもある。

秋分の日にまつわる行事食や風習

秋分の日は「彼岸の中日(ひがんのちゅうにち)」ともいわれている。秋分の日と深く関係しているこの「お彼岸」とは一体何を指すのだろうか。秋分の日にまつわる風習をひもといていこう。

秋のお彼岸にご先祖さまのお墓参り

お彼岸イメージ

 
秋のお彼岸は、秋分の日と前後3日間を合わせた7日間のことを指す。初日を「彼岸入り」、最終日を「彼岸明け」、ちょうど間の秋分の日を彼岸の中日と呼ぶ。

 
お彼岸は日本独特の風習で、その歴史は古く、平安時代から存在していたといわれる。また、仏教の世界では、先祖のいる悟りの世界を彼岸、今私たちが生きている世界を「此岸(しがん)」と表すそうだ。

 
秋分の日は昼と夜の長さがほぼ等しくになることから、この日は彼岸と此岸の距離が最も近い日と考えられ、先祖への感謝の気持ちを表しやすい日だと考えられるようになった。それがお彼岸の由来である。

 
こうしてお彼岸である秋分の日前後は、先祖を敬い、感謝を伝えることができる日として、お墓参りに行ったり仏壇に手を合わせたりするなど、先祖の供養をする日となった。

 
ちなみに、春分の日を中日とした7日間は春のお彼岸と呼ぶ。お彼岸の由来やお墓参りの作法などについては、下記の記事で詳しく解説しているので、ぜひご参照いただきたい。

秋分の日の行事食「おはぎ」

おはぎ

 
彼岸の中日である秋分の日には、おはぎを食べる風習がある。その由来は諸説ある。一つは、小豆の赤には邪気を払う効果があるとして先祖に供えられたのがきっかけというものだ。

 
おはぎに使われる砂糖は、かつて貴重とされていた。このため、特に江戸時代の庶民にとっては、おはぎは贅沢な一品であった。

 
小豆は、縄文時代から食べられている日本人に非常に馴染み深い食材。

 
このことから、おはぎは先祖にお供えする上等な品、そして前述した邪気を払い健康を祈願する意味でも、お彼岸の行事食となった。このおはぎ、そもそも名前の由来は何だろうか。

 
秋の植物である萩。おはぎの名前は、これに由来している。萩の花が、小豆の粒によく似ている様子から「御萩餅」と呼ばれていた。そのうちに餅が取り払われ、「おはぎ」とひらがなで表現される現在の形になったそうだ。

春分の日に食べられる「ぼたもち」。おはぎと大変よく似ているが、どのような違いがあるのだろうか。ぼたもちは漢字で書くと、「牡丹餅」。春に咲く牡丹の花が、小豆と形がよく似ていることが起源だとされている。

 
ぼたもちもおはぎ同様、仏壇へのお供え物として春のお彼岸に登場する行事食だ。おはぎとぼたもちの違いについては、季節の違いをはじめ、さまざまな説が存在する。

 
例えば、餅の大きさに関する違いだ。おはぎに比べ、ぼたもちのほうが大きいとされており、牡丹の花の大きさをぼたもちで表現しているといわれている。

 
このほかにも、こしあんとつぶあんの違いとする説や使用する米の違いとする説などさまざまあるが、明確にこれだというものはない。確実にいえることは、春はぼたもち、秋はおはぎと呼ばれるということ。

 
ちなみに夏は「夜船(よふね)」、冬は「北窓(きたまど)」と呼ばれるおはぎ。これは、おはぎは餅をつかずに作れることから、「いつ餅をついたかわからない=つき知らず」といわれ、「夜は船がいつ着いたかわからない」ことから「つき知らず」=「着き知らず」と掛けて、「夜船」が夏の呼び方として定着。

 
冬は、北向きの窓からは月が見えないことから、「つき知らず=月知らず」と掛けて、「北窓」と呼ばれるようになった。

ご先祖さまに思いを馳せ、感謝する秋分の日

「暑さ寒さも彼岸まで」という、よく耳にする言葉がある。春分の日や秋分の日を境に、暑さ寒さがだんだんとやわらぎ、次の季節の始まりを感じるという意味だ。

 
夏のじりじりと焼けつくような日差しが少しずつやわらぎ、一年のなかでも特に過ごしやすい秋の始まりを知らせる秋分の日。今日では何となく過ごしてしまいがちだが、本来は、私たちの先祖を敬い、この世界に生かされていることに感謝するありがたい日だということが理解できる。

 
先祖に思いを馳せながら何気ない日常の幸せに感謝する。こんな時代だからこそ、今年の秋分の日はそう過ごしてみるのもよいだろう。